VRの究極形がこの現実ではないか
私、画家のクロマトが
普段考えていることを発信するシリーズです。
日常の中で常に思考していることの
その一部分
今回は「VRの究極形がこの現実ではないか」です。

【現実と認識する世界への疑問】
小学生の頃
下校中にふと私は思いました。
「現実とはなんだろうか」
他人を視認した時
顔立ちや視線、言動や性格などを理解します。
しかし自分一人の主観だと
自分の顔立ちや視線、言動や性格を認識できません。
まして、自身の背後に今どんな世界があるかさえ
私たちは認知できません。
他者に知覚され、他者の主観によって
私の私たる部分が確立されます。
鏡を見ても
それが自分自身であるとは言い切れません。
自撮りをしても
誰がそれを自分と証明できるでしょうか。
実際、今あなたが見ている景色は
どのような景色でしょうか。
映像と何ら変りないことに気づきませんか。
寝ている時に夢を見ても
起きている時と
全く同じ五感を持って
その夢の中の世界を過ごしています。
この現実世界と同じ感覚で
夢の中も生き
そこでも経験をし、学ぶゆえに
別世界であるこの現実と
記憶違いを起こしてトラブルも起こりました。
それゆえ
「現実」と呼ばれるものへの確実性は
私の中で疑問視されていきました。
例えば
本当の私は今
病室のベッドの上、昏睡状態で
見ている夢を現実だと思っているかもしれません。
そんなことを
石を蹴りながら下校する帰路にて
ずっと考えている子供でした。
【コンピューターの進化】
そんな疑問を抱えながら私は人生を進み
今となっては
技術の進歩が凄まじい時代になりました。
そこで見えてきた仮説が
「この世界はVRである」という説です。
VR、仮想空間技術の登場は
私が長年思考してきた事に進歩をもたらしました。
それは
私たちが生きるこの世界は
仮想現実である可能性が非常に高いということです。
「神頼み」「神のみぞ知る」
と言った言葉表現がありますが
その正体は、
シミュレーションを行っている観測者
私たちと似たような存在なのではないでしょうか。
【ゲーム、それも現実】
例えば、楽しみにしていたゲームを購入したとします。
ゲームを起動し
私たちがまずすることと言えば
セーブデータの作成だと思います。
特にキャラクターメイク。
そのセーブデータの作成以前は
そのゲームの、あなたのデータの世界は存在しません。
完全に無の状態です。
でもあなたがセーブデータを作ったことにより
そのゲームの世界において
物語を始める準備が整いました。
これ、現実世界でおける何に例えられますか。
そうなんです、ビッグバンです。
なんらかの影響で
完全な無の空間にビッグバンが起こり
宇宙や星々を形成していった
そう言われていますが
そのビッグバンこそが
セーブデータの誕生と言い換えられるのです。
RPGや、街を作り人々の生活を眺めるゲームなど
様々なジャンルのゲームがありますが
その世界の住人は
プレイヤーである私たちを認知できません。
自由意思を持って行動しているように思えて
実はコントローラーで操作されている。
それに住人は気付かずに世界を生きます。
【VRはどこに行き着く?】
そして重要なのが
「VR」仮想現実の技術。
今現在の段階では
ゴーグルをしてゲームを3D感覚でプレイしたり
仮想空間での展示会や
街を作り出す程度です。
しかし、このVR技術の行き着く先はなんだと思いますか。
私は、
「別の現実世界の作成」
だと思っています。
私たちが暮らす、この現実と
同様の世界や
あるいはもっと進化した世界を
人工的に作成可能だと思っています。
それこそ、宇宙誕生から
地球の人間の歴史のはじめから
すべてクリエイトしていくことも。
ともすれば
この現実がもうすでにVRである可能性が
非常に高まってくるのです。
そういったコンピューター技術は
プログラムや電気信号で動きますが
我々はどうでしょう
我々の脳や神経は
電気信号によって動作命令が出されています。
また、遺伝子情報や分泌される物質などは
プログラムに置き換えることが可能だと思います。
そしてすべての出来事は
宇宙も含め、
決まったサイクルで動いていますよね。
太陽を中心とした太陽系のサイクルも
一つひとつの銀河系の形も
原子核の周りを周回する電子のサイクルも
食物連鎖も
人生における人と人との出会いも
森羅万象、あらゆることの仕組みが
非常に似通ってくるのです。
それがこの世界のプログラム、ルールかもしれません。
【平行世界の存在にもつながる】
「平行世界」つまり
違う選択や、違う進化を遂げた
私たちの世界とそっくりな世界から
全く違う時間を歩んだ世界のこと。
私はゲーム実況を見るのが好きなのですが
選択肢によってエンディング分岐するゲーム
今たくさんありますよね
ここ、かなり重要な手がかりだと思うのです。
「あの時ああすればよかった」
「もしこういう選択をしていたら」
そんな気持ちが
そういったジャンルのゲーム制作の根本にあると思います。
ゲームの世界で人生シミュレーション、みたいな。
プレイヤーは
様々なシーンで選択を迫られ
それにより、結末も世界も変わっていく。
ともすれば、
先ほど申し上げたように
VR技術の行き着く先が
もう一つの現実の創造だとするならば
私たちの世界で
度々話題に上がる「平行世界」とは
プレイヤーの数だけ
セーブデータの数だけあり
その分の分岐があり
平行世界、パラレルワールドとは
その一つひとつのことを指すのではないでしょうか。
そう考えると
割とつじつまが合ってくるんですよ。
ゲームの中の住人は、我々を知覚できず
現実を生きる我々は、現実のつくり手を知覚できず
そのつくり手の世界のつくり手も…
と連なっていくのではないでしょうか。
画面の中を観測する者と
それを画面で観測する者と
それを画面で観測する者と…
それが次元の違いであり
もしも外側にアクセスできたなら
何が起こるのでしょうね。
私の思考は続いていきます。。。
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