【HSPあるある】うつ病、不安障害、適応障害を引きずって私は絵を描く
●目次
・人間関係
・存在を愛する
・恋愛観
・無意識の意識
・労働
・望む事
・人間関係
私は他人と違ってしまっている。
そう感じ始めたのは、小学生の時からだった。
そして今にいたるまでの経験でわかったのは
みな日常に溺れ
誰も生を感じていない。
誰も死を感じていない。
誰も、この孤独を感じていなかった。
ただ日々に泣き笑い、すやすやと眠る。
これほど人間臭い事はないのだが、
話を聞けば、薄っぺらい事ばかりで
みんな、麻痺しているように思えていた。
私にはもともと、怒りという感情がほとんどなく
常日頃、イライラする事もないせいか
人の、血の気の多さを恐れるばかり。
近付いては、恐くなり離れ
近付いては、恐くなり離れ
別離など望まなくても、
みな自然と私から離れていった。
私の「喜悲哀楽」は理解されないのだろうか。
うわべでの会話は、私とていくらでもできるのだが、
誰も本質が見えていないのだ。
いや、あえて目を背けているのだろうか。
いくら私の感覚を口にしても伝わらず、
変な人。不思議な人。と片付けられる事も多かった。
誰とも、真の会話ができないため
メッセージアプリなども、しんどくて続かない。
簡単に言えば私は
「よく喋るけど人間関係の苦手な人」だ。
普通で在ろうと努力はしたものの、無理だった。
結局は劣等の雑踏。
この話は、石ころ。
・存在を愛する
私の中の愛を語るのであれば、存在愛だろうか。
世に存在するものすべて、愛おしく想う。
人が産まれ、泣き笑い、死んでいく事はもちろん
植物が根を張り大地と共にする事
動物たちの純粋さ
人が作りだした、モノにいたるまで。
魂や感情は、人にだけ宿るものではない。
機械でさえ、愛すれば応えてくれる。
私はこの感覚を信じていたい。
大袈裟に感じたり、嘘くさいと感じられるかもしれない。
それでも言い張りたい。
すべてはこの地球上に存在するもので、
存在している以上、この星の腕の中なのだ。
そこに私達は、存在させていただいている身。
奪い合って争うくらいなら
すべて愛する事ができたなら素敵じゃないか。
この話は、石ころ。
・恋愛観
私は上記のような人間なので、
人の価値観と、まあ合わない合わない。
学生時代の恋バナや好みの話など
私にはどうでもいい事だった。
だれだれが可愛い。
だれだれが優しいから好き。
そんなこと、私にはどうでもよかった。
この年齢になってくると
相手の仕事なども絡んでくるのだろうか。
そこは特に関係のない話なのだ。
この手の話になると、
だいたい、ルックスや性格の話ばかり。
みな、人の命や魂を感じていないのだろうか。
ルックスが良くても、性格が良くても
命や魂が合わない人と居続ける事は不可能だ。
そもそも、加齢や経験などで人は変わるから
その時の相手を不変の存在として捉えるのは
ファンタジー世界でない限り、大きな間違いなのだ。
むしろ、自分のすべてが共鳴するのであれば
それこそが真実なのではないかと私は思う。
この話は、石ころ。
・無意識の意識
これは私の創作についての話。
意図的な事はしないようにしている。
詩を書く時、それを語る時
曲を作る時、絵を描く時
限りなく無であるように意識する。
限りなく無の場所に身を置き
あるがままの心情を描写する。
高価なスーツなどいらない。
それを脱ぎ捨てた丸裸の魂で表現し
受け手の吟味に委ねる。
たとえそれを馬鹿にされても構わない。
それをすべて抱きしめてやれるくらいの信念があるから。
寒空のした、素っ裸で
「これが私の体温です!」と言っている
26歳おちこぼれ男性を見て、
「いとをかし」と思う人には届くと思っている。
この話は、石ころ。
・労働
「働く」という事において私は、
その価値がよくわかっていない。
それに使命感のある人は素晴らしいと思うのだが
「お金のために働く」
「世間体のために働く」
というのは、心を殺す行為にしか思えないのだ。
私のサラリーマン時代はそうだった。
麻痺していく生命、
丸めこまれていく感性。
それを実感して、怖くなった。
何がなんだかよくわからないまま一日が終わり、
こんなんでいいのか?とひと月が終わり
18枚ほどの紙切れを見て、何だこれ?と思うだけ。
お金って何なのだろうか。
数字というテキスト?紙や金属という物質?
よくわからない。
生活費に必要だけど、物欲なんてないし
とりあえず心だけが摩耗する感覚と
果てしなく時間を無駄にしている感覚だけが
手に入った。
失うばかりで、メリットは何も得られなかった。
それでも無理矢理にでもやらないと生活できないのなら
心を犠牲にして、やるしかないのだが
「お金」という概念があるうちは
人類は次のステップに移行できないのではないか?
と首を傾げる日々。
この話は、石ころ。
・望む事
私は幼少期から、調和と安らぎを望んでいる。
長く生きれば生きるほど
その不可能さを実感していくのだが、
せめて自分の周りだけは
それを実現できたらと願う。
だって私はこんなにも
存在というものを愛したいのだ。
中学生のころ、こっそり発見した母子手帳を見た事がある。
私が産まれた時の話。
病院の2階で産まれたのだが
1階まで聞こえるような強大な泣き声だったらしい。
(私の声量は元来のものだったのか…)
しかし、その大声で泣いた事しかまだない赤ん坊に
母は何を思ったのか
母子手帳には次のように書かれていた。
「この子の笑顔は世界を平和にすると確信した」
そして私に与えられた名前の意味を、
当時からずっと考えてきている。
名前の意味を、自分なりに表現していきたい。
せめて自分の周りに対しては届くように
表現していきたい想いがある。
調和と安らぎを望む。それは変わらない。
この話は石ころ。
石ころだから、
どうかあなたの中の、小学生の哲学で
あなたの家まで連れて行っていただけると幸いです。
——————–
【画家クロマト】LINE公式アカウント
https://lin.ee/1wxWbIg
●絵描きさんを中心に、悩み相談や愚痴などを普段と同じチャットで私と話せます
画家と暮らしてみませんか
●ブログや個展、制作過程などの最新情報も発信
誰でもウェルカム! 雑談もOKです!
Twitter
原画販売
https://khromatart.base.shop/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません